小野田寛郎:たった一人の30年戦争 (1995)
10 月 11th, 2006
1945年の太平洋戦争終了直前から1974年の間、終戦を信じずにフィリピン共和国ルバング島でゲリラ活動を続けた、小野田寛郎元陸軍少尉による手記(Wikipedia:小野田寛郎)。
小野田元少尉は、有名な陸軍中野学校で情報将校としての教育を受け、現地に赴任。直後の戦闘で部隊は壊滅し、島田伍長、小塚一等兵らとともにゲリラ活動に入る。終戦後も度重なる投稿勧告に応じなかったのは、情報将校としての国際情勢判断によるものだった。小野田元少尉は、日本本土には連合国による傀儡政権が誕生し、反攻を企図した集団が満州国(中国東北部)に残存していると判断していた。
実際のゲリラ活動では、自分たちの勢力範囲を確保するために不規則かつ執拗な襲撃を行っている。1974年に帰還するまで、小野田側の記録では90数回、現地のフィリピン空軍側記録では130数回にもおよぶ戦闘があったとされる。1954年には戦闘で島田伍長が戦死し、これをきっかけに日本政府の厚生省(当時)が残留兵の捜索に乗り出すが失敗。1959年には小野田側の威力偵察で比空軍に死者が発生し、再び日本政府による捜索が行われる。1972年に小塚一等兵が戦死すると、3回目の捜索が行われるが小野田元少尉は捜索隊と接触もせず、ついに捜索は実質的な打ち切りとなった。その2年後の1974年、冒険家の鈴木紀夫氏が現地に入り、小野田元少尉との接触に成功。これがきっかけとなって、元少尉は帰還する。
小野田元少尉を頭の固い旧軍人とする見解もあるが、むしろ職務に忠実な倫理と責任の人なのだろうと思われる。帰還後の会見では、無駄な時間を過ごしたかと思うかという問いに対し、若い頃を一生懸命に打ち込めることがあったのは幸せだったとしている。元少尉には、明確な目的とそれを達成する能力があり、能力を発揮するフィールドがあった。才能と環境に恵まれることは、戦後60年以上経過した現代社会でも、そう多くは無い。
【関連書籍】
斎藤充功:諜報員たちの戦後 陸軍中野学校の真実 (2005)
陸軍中野学校出身者は戦後、何をしていたのか。


