中嶋博行:君を守りたい (2006)
1 月 5th, 2007
いじめを受けている被害者を緊急に救済するという観点で、いじめ対策の言説を述べた本。著者は弁護士で、文芸書や漫画原作の作家でもある。
冒頭では、性暴力や被害者の自殺にいたったいじめの事例が紹介されている。当事者や周囲の人物の行動や態度が詳しく記述されており、これがごく一部であったとしても、これほどひどいことが起こっているという現実に驚かされる。
一般に知られているように、私立学校ではいじめ加害者に対して退学等の厳しい処分が下される。本書では、2005年の週刊朝日に掲載された事例で、いじめ加害者の中学生が即日退学処分になったものを紹介している。加害者はある日、母親同伴で学校に呼び出される。学校にはすでに幾人かの生徒や保護者、教師らがおり、その場で退学処分を通知されたという。
こうした事例もやはりごく一部なのかもしれないが、そんなに厳しい学校もあるのかと驚かされる。放逐された加害者は裁判所に持ち込んだが、退けられた。この元・中学生は、その後どうなったのだろうか。
筆者はこうした状況を踏まえて、学校にはいじめを解決する能力がないと指摘し、加害者の自主更正に期待する立場や、いじめを集団全体の問題ととらえる立場が、いじめ加害者を助長させてきたと攻撃する。そして、いじめを主導する特定加害者に限定しつつ、出席停止や退学など厳罰運用による抑止力こそいじめ解決につながると主張する。
おそらく中学生らにも読まれることを考慮してか、文章は平易でボリュームも多すぎず、さらに説得力があってよい。しかし、教育性善説の立場(多くは公立学校関係者か)からすると、面白くないだろう。むしろ、個人的には学校がいじめを解決できないのは構造的なものであって、学校というより日本人の集団形成はそうした欠陥を含んでいるものであるからと考える。これだと筆者の立場からは「いじめ宿命論か」と言われそうだが、そんな単純な話しではない。
例えば、発言力の強い誰かに引きずられて集団の意思になるという構造は、日本の社会によく見られるものである。そうした意思決定を尊重することが大人になることだとか、世間を知ることだとされる。集団の意思決定の原因になった者を特定し、それに対して罰をあたえるというスキームは、暗黙の社会構造に反するもので、広く一般の支持を得られないかもしれない。
意思決定者に厳罰を与える仕組みは、おそらく社会の既得権者に刃をつきつけることになるだろう。例えば、「誤った意思決定者には厳罰を」の教育をうけた若者が新入社員として入社してくることは、多くの無能な管理職(=意思決定者)にとって針のむしろになる。それで無能な管理職が一掃されるのはいいことなのだが、多数派を形成する無能意思決定者らは、これを支持するだろうか。
多数の支持がなければ、民主主義社会で変化が起こることはない。集団の中に隠れて身勝手な意思決定を行ってきた者に厳罰を与える「健全な」社会は、果たして実現するのか。
【関連書籍】
今野敏:慎治 (1997)
いじめられていた冴えない中学生の慎治が、いじめっ子をやっつけるまでの話し。
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