11 月 12th, 2006
陸軍中野学校出身者が、戦後どうなったかに焦点をあてた本。同校で教育を受けた情報将校は2131名、うち戦死289名、消息不明376名となっている。消息者の内訳は、戦犯として裁かれ巣鴨プリズンに収監されたもの、実業家として国内外で成功したもの、GHQスタッフになったもの、自衛隊で有力な地位を占めたものなどがいる。本書は、いくつかのケースについて取材や本人インタビューをおこない、諜報員たちの戦後史を明らかにしている。
多くは関係者本人へのインタビューによるノンフィクション形式で、戦犯になったものの話しや、GHQスタッフになったものの話しが収録されている。ただ、全般的に著者の主観による記述が多く、事実のみを拾い出して淡々と記述するという形式ではない。中ほどに下山事件と中野学校出身者との関わりについて取材した章があるが、ほとんどのインタビュイーが仮名のうえ著者の感情が前に出すぎており、完全に客観性を欠いてしまっている。Wikipedia:下山事件によると、事件に陸軍関係者が関わったというのはそれほど遠い推測でもないようだが、それだけに残念な点である。
とはいえ、著者の地道な取材による成果は確実にあがっている。巻末に収録されている、中野学校のゲリラ戦教育に使用されたとされる教材は、その実践的な内容に陸軍中野学校の存在感を感じることができるだろう。
【関連書籍】
小野田寛郎:たった一人の30年戦争 (1995)
小野田は、陸軍中野学校・二俣分校でゲリラ戦の教育を受けた。
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11 月 1st, 2006
1943年、日本軍の徴用船船長が真冬の知床半島で遭難。2ヵ月後に帰還すると「奇蹟の神兵」としてもてはやされるが、実は同僚の人肉を食べて生き抜いていた事が発覚し、その名声は地に落ちる (Wikipedia:ひかりごけ事件)。本書は戦後15年かけて取材し、船長本人の独白形式でつづったドキュメンタリー。
P.P.リード:生存者(2000)は、人肉食という価値観の大転換が起こるのは、その特異な状況にあると思わせる内容だった。しかし本書を読むと、その考えはおおむね打ち消される。船長の独白や、著者が取材した精神科医らの話によれば、むしろ状況はきかっけに過ぎない。真冬の知床で体感温度は零下20度に達し、食料もないという状況は、人の精神を徹底的に痛めつけ、理性の働きを完全停止させる。動物に戻った飢餓人間の前に食べられるものがあれば、それが人肉だったとしても食べてしまう。本書はこうした状況が誰にでも起こることを示唆しているともいえる。
この事件が極めて興味深いのは、それが当時の日本の状況とシンクロしていることだと思われる。軍部は、帰還した船長をこれ幸いとプロパガンダに利用するが、実際は言い訳のできないおぞましい行為が隠されていた。これを事件として体制が裁くのは、もてはやした自らを傷つけることに等しく、船長への判決が異例の軽さだったという点も理解できる。軍や体制側が表面にばかりこだわる姿勢は、本書の事件にも影響を与えており、当時の状況を理解する上でも興味深いといえる。
ドキュメンタリーには珍しい1人称視点だが、おぞましい事件を読みやすくする効果がある上、戦時下という状況や真冬の知床という特異な状況も加えて、ある意味現実感のない浮遊した印象を受ける。著者が飢餓体験をしてみたり、学識者らを取材したりしている点も好感が持てる。そして衝撃的なのは、83ページの写真だろうか。もうここまで来ると、本書を通して間接的に人肉食をしているのと変わりない。この本を面白いというと誤解されそうだが、現実離れした事件と理性の間を行き来する、麻薬のような魅力がある。
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10 月 11th, 2006
1945年の太平洋戦争終了直前から1974年の間、終戦を信じずにフィリピン共和国ルバング島でゲリラ活動を続けた、小野田寛郎元陸軍少尉による手記(Wikipedia:小野田寛郎)。
小野田元少尉は、有名な陸軍中野学校で情報将校としての教育を受け、現地に赴任。直後の戦闘で部隊は壊滅し、島田伍長、小塚一等兵らとともにゲリラ活動に入る。終戦後も度重なる投稿勧告に応じなかったのは、情報将校としての国際情勢判断によるものだった。小野田元少尉は、日本本土には連合国による傀儡政権が誕生し、反攻を企図した集団が満州国(中国東北部)に残存していると判断していた。
実際のゲリラ活動では、自分たちの勢力範囲を確保するために不規則かつ執拗な襲撃を行っている。1974年に帰還するまで、小野田側の記録では90数回、現地のフィリピン空軍側記録では130数回にもおよぶ戦闘があったとされる。1954年には戦闘で島田伍長が戦死し、これをきっかけに日本政府の厚生省(当時)が残留兵の捜索に乗り出すが失敗。1959年には小野田側の威力偵察で比空軍に死者が発生し、再び日本政府による捜索が行われる。1972年に小塚一等兵が戦死すると、3回目の捜索が行われるが小野田元少尉は捜索隊と接触もせず、ついに捜索は実質的な打ち切りとなった。その2年後の1974年、冒険家の鈴木紀夫氏が現地に入り、小野田元少尉との接触に成功。これがきっかけとなって、元少尉は帰還する。
小野田元少尉を頭の固い旧軍人とする見解もあるが、むしろ職務に忠実な倫理と責任の人なのだろうと思われる。帰還後の会見では、無駄な時間を過ごしたかと思うかという問いに対し、若い頃を一生懸命に打ち込めることがあったのは幸せだったとしている。元少尉には、明確な目的とそれを達成する能力があり、能力を発揮するフィールドがあった。才能と環境に恵まれることは、戦後60年以上経過した現代社会でも、そう多くは無い。
【関連書籍】
斎藤充功:諜報員たちの戦後 陸軍中野学校の真実 (2005)
陸軍中野学校出身者は戦後、何をしていたのか。
たった一人の30年戦争 小野田 寛郎
東京新聞出版局 (1995-08)
ISBN-10: 4808305356
ISBN-13: 9784808305352
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7 月 9th, 2006
太平洋戦争末期の激戦地である硫黄島上陸戦の様子を、米国側将兵の視点で記録したもの。多数の将兵にインタビューを行い、リアルな戦場の様子を描き出している。
米側から見た日本軍という視点が、非常に興味深い。例えば、神風特攻のレポート記事、厭戦的な米兵談話の掲載が報道管制の対象であったり、将軍たちの確執などは、日本の書籍ではあまり見られない話題である。
また、兵士の犠牲に対する観点も面白い。例えば米国では、硫黄島がそれほどの犠牲を払うのに見合った拠点なのか、という議論が世論として湧き上がる。おそらくベトナム戦争や、現在のイラク戦争でも同様の観点があっただろう。しかし日本では、当時は護国の鬼とか英霊とか呼んで尊敬し、現在では犠牲は残酷だから戦争なんてしてはいけない、という。犠牲を硬直的にとらえて、思考回避的であるという点では当時も今も変わっていない。
犠牲を出すのに見合うかどうか、という米国的な視点は、60年経った今でもないのだ。こうした点は、おそらくその後のダッカ日航機ハイジャック事件などと連続しているのではないか。そうした比較文化の点で、強く印象に残った。
硫黄島—勝者なき死闘 ビル・D. ロス
読売新聞社 (1986-05)
ISBN-10: 464354810x
ISBN-13: 9784643548105
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6 月 27th, 2006
太平洋戦争の戦中・戦後に、疎開もせず徴兵もされず、東京にあって戦争を経験した著者の回想記。普段のノンフィクション小説と同様に資料調査も怠りなく、当時の人々や自分自身を見つめる淡々とした筆致が心地よい。台東区日暮里、足立区、千葉県浦安市などが舞台。
吉村の回想記は、太平洋戦争関連の体験記によくある説教くささが無い。浅草や上野鈴本の寄席に通い、甲府に一人旅して葡萄を食べ、墓場で男女の性交を目撃したりする。それでもノースアメリカンB25の目撃から、激しい空襲の体験、至近弾に生きた心地もなかったこと、物資の不足に伴う貧しい生活を回想する。
敗戦は衝撃、戦後の価値観の大転換は憤りをもって語られる。戦争の質がどうであれ、生活に密着して全力をかたむけてきた事業が無条件降伏といわれて終結したのは、当時の人たちにとって大きな心の傷になったのではないかと思う。
激しい空襲の後に浅草の劇場を心配して見に行ってしまうとか、バナナを皮ごと食べる親戚の子を見てうろたえる吉村少年も面白い。そんな普段どおりの日常と、生命とアイデンティティの危機にさらされた戦争体験が交錯し、リアリティを感じさせる。
【関連書籍】
歴史・時代小説カテゴリ
吉村昭のほかの著作を紹介。
東京の戦争 (ちくま文庫) 吉村 昭
筑摩書房 (2005-06-08)
ISBN-10: 4480420967
ISBN-13: 9784480420961
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