吉村昭:白い航跡 (1994)

7 月 29th, 2006

明治時代、脚気病の対策を切り拓いた軍医・高木兼寛の伝記小説。当時の脚気は、原因がわからないまま下士官に多数の死者を出す奇病であったが、高木はフィールドワークによって米食が原因ではないかという仮説を立てる。この仮説に従ってパンや牛肉が中心のメニューに切り替えたところ、海軍の脚気は一気に解決に向かう。しかし学会では、その原因をめぐって陸軍軍医・森鴎外らと激しく対立する (Wikipedia:脚気高木兼寛)。

この小説の一方の側面は、戊辰戦争当時は薩摩藩の従軍医師であった高木が、海軍軍医総監にまで昇りつめる立身出世の話でもある。近所の私塾塾長など、指導的立場の人物から才能を認められ勉学の機会を得て、ついにはイギリスへと留学し、学位を取得して帰国する。

脚気の原因説をめぐっては、ドイツ医学を修得したエリート軍医・森鴎外らと対立する。これはむしろ、方法論の対立といっていいだろう。当時のドイツ医学は、基礎理論を重視するアカデミックなものであったが、高木が身に付けたイギリス医学は、臨床やフィールドワークを重視する現場主義的なものであった。高木はイギリス医学の伝統的方法に従って脚気を解決するのだが、鴎外らの目にはルール違反のように映ったのであろう。

しかし、鴎外は小説家としてよく知られている。小説家としての日常が拡大していくにしたがって、こうした論争とも疎遠になっていったようだ。趣味的な論争だったのかなという気もするが、高木を通して鴎外の意外な一面を知ることができる。

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吉村昭:北天の星 (2000)

7 月 11th, 2006

江戸時代後半、択捉島にロシア艦が来航。番人の五郎治、左兵衛をオホーツクへ連れ去る。徐々に待遇は悪化し、食べ物も事欠くようになると、五郎治は日本を目指して逃亡を企てる。

有名な大黒屋光太夫事件の十数年後のことで、史実を元にしている。酷寒の気候、言葉も通じない異国という絶望的な状況で、機転ゆたかな五郎治は希望を捨てずに故国・日本を目指す。

初版は1980年だが、題材が遠い過去である点や、吉村の平易な文章のために古びた印象はない。五郎治らは何度も生命の危機にさらされるが、その度に自分の能力を生かして状況を打開していく。読み手に力を与えてくれる小説である。

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吉村昭:島抜け (2002)

7 月 11th, 2006

幕府に反抗的な講釈を行って遠島刑をうけた端龍は、同じ境遇の罪人に引きずられて追放先の種子島を脱走する。生命をかけた太平洋上の逃亡をへて、長崎へ戻るが、今度は役人たちの追手が忍び寄る。

端龍はスケープゴートにされる形で遠島という過分な重刑を受ける。しかし島抜けによって、捕縛されれば死罪を免れない本当の重罪人となり、選択は逃亡しかなくなる。

彼の逃亡によって制裁を受けることになる、種子島の庄屋や牢番役人の葛藤が、江戸時代と現代の相違や同質な点を際立たせて興味深い。法による制裁の厳しさは現代と異なるが、制裁を恐れて行動が変容する人々のありようは現代と変わらないであろう。

ほか、飢饉による逃散を余儀なくされた農民を描く「欠けた椀」、明治維新後の献体による人体解剖と解剖学の発達を描いた「梅の刺青」を収録した短編小説。

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吉村昭:敵討 (2003)

7 月 11th, 2006

父と伯父を殺した犯人を追って脱藩。浪人となって敵を追うが、行方はまったくつかめず、生活は徐々に困窮していく(表題作:敵討)。
幼いころ、両親を惨殺された六郎は、片時も敵討ちのことを忘れたことは無い。しかし時代は明治に入り、敵討ちは殺人罪になってしまった(最後の仇討)。

特段の情報網が無いころに、ひとりの人間を探すのは相当な困難であっただろう。島抜けなどを読むと、当時の警察機構の情報網に驚かされるが、個人ではそのようなものを使えるはずはない。おそらく、希望もかなわず誰からも忘れられて消えていった人々は、相当多いはずであると思う。

明治維新後の敵討ちを書いた「最後の仇討」は、さまざまな示唆に富んでいて面白い。法は、自身の厳正さを保つために融通の利かなさ(あるいは中立性)を持ってしまうのは当然だと思うが、同時に両親を惨殺された人の胸中も理解できる。

そういえば、敵討ちが合法化される近未来をかいた劇画(松本次郎「フリージア」)もあった。

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吉村昭:背中の勲章

7 月 9th, 2006

太平洋戦争中、本州近くの洋上で、東京をねらう米国艦隊の監視任務を負っていた哨戒兵のノンフィクション小説。兵らは、艦隊発見の無電発信によって発見され、攻撃をうけて捕虜になる。その後、終戦まで4年間を米国本土で捕虜として生活する。

当時の日本兵は、数々の島嶼守備戦を全滅(玉砕)で終えている。では米国に捕らえられて捕虜になったものはいないのかというと、そんなことはなく、わずかながら存在する。本書では、それらの捕虜が登場するが、主人公の視点で多様に書き分けられている点が興味深い。

例えば、はじめての玉砕となったアッツ島の生き残りは、激戦による重傷者が多く、米国に包囲されて補給が不可能だったガダルカナルの生き残りは、各人の個性がなくなるほどやせこけ、体力が失われて言葉も不明瞭であったりする。神風特攻兵の生き残りは、長い捕虜生活でもうちとけることなく、暗い雰囲気で「すでに死んでいる」、といわれたりする。

日経2世や、米国内で抑留されていた移民1世らも登場し、日本の外部の視点から見た太平洋戦争という点で、新鮮な印象を受けた。

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