民主主義汚染―東村山市議転落と日本の暗黒 (宇留嶋瑞郎,1998)

7 月 8th, 2007

1995(平成7)年4月、東京都の東村山市議選で初当選した草の根・朝木直子氏は突如当選を辞退。市選管はこれを拒否するが、朝木氏は住民票を市外へ移し、被選挙権を失ったと主張する。結局、市選管はこれを追認することになり、欠員を埋めるために繰り上がったのは、次点落選で朝木氏と同じ会派の重鎮・矢野穂積氏であった。

その後、事実上の議席譲渡であるとして憤った市民らにより訴えが起こされるが、最高裁における勝訴まで都合2年半近くかかることになった。最終的に矢野氏は1997年に議席を失うのだが、その間の、
・上記の議席譲渡事件
・草の根会派で朝木氏の母の万引き、自殺騒動
・朝木氏の母の死亡を捜査した東村山署と、国会の政争
などが本書で語られる。

一方、最近2007年6月末には、上記2名の市議によって、同じ東村山市議・薄井氏が元風俗誌出版会社社員であったことを糾弾する件が全国に知られることになり、ネット上でも話題を呼ぶことになった。2名の市議の強引な論争手法や、彼らによる訴訟提起数の多い点から、恐れとともに奇異な印象を受け取る人々が多いようだ。

ところで、1997年に矢野氏が失職した後はどうなったのだろうか。調べると、実は直後1999年の市議選で、朝木氏はトップ当選、矢野氏も4位で当選している (東村山市 1999年市議選挙)。その後の選挙でも、朝木氏はトップに近い得票で当選、矢野氏も何とか当選している(東村山市 2007年市議選挙)。これはどうしたことか、おかしいのではないか、と思う人が多そうである。

だが翻ってみても、実は政治というのはそんなものである。いかに暴論で論理破綻していようとも、平易な言葉で存在をアピールし、ライバルより強く印象付けたほうが勝つのである。なぜ選挙カーで名前を呼ばわる手法がずっと以前から好まれているのか、考えてみる必要がある。これは「いい商品を開発しても、それだけでは売れない」というマーケティングの問題意識に似ている。矢野氏らは、自作ビラを市内各戸に配布したり、FM放送局を開くなどしているが、それらが政治活動の基盤になっているようだ。FM放送局の番組表を見ると、彼らを支持する層がどの層であるか、少なくともどの層を想定しているかよく理解できる。

東村山市民新聞
www.geocities.jp/higashimurayamasiminsinbun/
多摩レイクサイドFM
www.geocities.jp/tamalakesidefm/

朝木、矢野両氏の政治手法は、良い悪いの判断を抜けば極めて巧妙で智謀に長けている。しかし朝木氏の母をフォローしたころと違って、矢野氏ももう若くはないし、集票状況もあまり芳しいとはいえない。手法を受け継いだ後継者を育てるか、朝木氏が1人でもやっていけるようにノウハウを移転しなければ、今後10年20年とは続かないだろう。それにしても、これほど戦いにくい相手を向こうにして市政運営をしてきた同僚市議、市職員や、東村山市民の人々には驚嘆せざるを得ない。一体どれほどの苦労があったことだろうか。

本書ではリファレンスが示されていないのが残念だが、上記の点からも政治分野のノンフィクションとして興味深い。

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鎌田 慧:ドキュメント 屠場 (1998)

6 月 27th, 2006

牛、豚を解体し食肉化する「屠場」や、そこで働く労働者たちを取材したルポ。一般にはなじみの無い食肉加工のレポートも興味深いが、同時に従来から根深い差別問題にもフォーカスする。

差別問題に関して本書を読んだ限りでは、労働者たちの社会闘争が何をゴールにしているのかという点にわかりずらさがあるように思う。蔑視や偏見が解消されることだろうか。あるいは過去にあったタダ働きの風習的なものを解消して、待遇をよくすることだろうか。

本書で登場する熟練労働者は、最近の機械化された工程では歩留まり(食べられない部分を廃棄して残った割合)が悪くなると嘆き、熟練者の職人芸をすばらしいという。しかし、熟練者に使う人件費が機械化の費用を大きく上回り、それが歩留まりの上昇でカバーできないと、経営者は熟練労働者を何人か減らそうと考えるかもしれない。ひょっとしたら差別問題のゴールは、そうした労働者の減少によって起こる運動自体の終焉かもしれないのだ。

【関連書籍】
溝口敦:食肉の帝王 (2004)
 同和問題を巧みに利用して巨大企業グループを築いた、浅田満のノンフィクション。

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