阿部幹雄:生と死のミニャ・コンガ (2000)

11 月 6th, 2006

1981年、中国・成都の西方にあるミニャ・コンガに、北海道山岳会らのメンバーが登山。登頂を試みるが、合計8人が滑落、行方不明になる。目の前で仲間が滑落していく事故を生き延びた著者による、登山の記録とその後の顛末を書いたもの。

本書の滑落事故は、1年後の1982年に同山で遭難した松田宏也:ミニヤコンカ奇跡の生還 (2000)の記録にも、ショッキングな事件として述べられている。この本にも山の様子がわかる図がついていたが、本書のほうがより詳しく素人にもわかりやすい。

目の前でザイルに鈴なりになって落ちていく仲間やその表情を目撃し、断末魔の声を聞いていたことは、著者にとってたいへん衝撃的な体験だったであろう。サバイバーズ・ギルトに似た罪悪感に悩まされており、本書の半分はその贖罪をテーマにした事後の顛末記になっている。

衝撃的な事故の反動か、事故の責任者とされる登山隊隊長を激しく糾弾しているのだが、多少の疑問も残る。読者には、目の前で事故を目撃した著者以上に事故を知ることは不可能ではあるのだが、だからといって著者の書く内容をすべて事実として信用することはできない。事故報告書等のリファレンスを示さないのは、やはり著述のバランス感覚を欠いていると言わざるを得ないだろう。同様の感想を持った人は、幾人かいるようである。
http://www.ywad.com/books/772.html
http://inmybook.jugem.jp/?eid=437

その後、著者と交流のあった知人を含む隊が同山に登って4人が遭難死するという出来事がある。この事故では、その登山隊隊長らを満足な救助活動もしなかったとして糾弾している。おそらくこれは、目の前で滑落しているのを見ているまま、何もできなかった当時の著者の感情を、別のことに投影しているという心の動きだろう (参考:投影性同一視)。こうした点からも、著者が事故の記憶に深くからめとられてしまっているということがわかる。著者の心に少しでも近づきたいと願う読者にとっては、残念なことである。

これは佐野(1995)松田(2000)でも感じたことだが、遭難事故にあった当事者らの著述にある説得力は、その衝撃的な体験をしたという事実そのものにあるようだ。彼らがそれ以上に知的な努力を講じることは少なく、本を読むことで他人が彼らの体験にある根本的なものをつかむことは、残念ながら難しそうだという印象をうける。そうした境地を欲するのであれば、実際に遭難してみるか、第3者視点で書かれたものを読むしかないということだろう。

【関連書籍】
松田宏也:ミニヤコンカ奇跡の生還 (2000)
 本書の事故の1年後に起こった、遭難事故と生還の記録。
佐野三治:たった一人の生還 「たか号」漂流二十七日間の闘い (1995)
 海上を漂流して生還した記録。

カテゴリー: ノンフィクション | タグ: | コメントはまだありません

生存者 (2000)

10 月 13th, 2006

1972年、酷寒のアンデス山中にウルグアイの学生ラグビー選手ら40数名を乗せた飛行機が墜落。食糧不足から仲間たちの死体を口にするようになり、70日余り後に16名が生還する。この事件は、「アンデスの聖餐」として知られている。

この件の人肉食に関しては、生存のためにやむを得なかったというのが多くの見解の様で、ことらさ問題にする気はない。しかし遭難話は数多くあるのだが、なぜ人肉食に至るものとそうでないものがあるのだろうか。換言すれば、人肉食を受け入れるという価値観の大転換が行われるのは、どんな状況なのだろうか。

状況を分析すると、おそらく3500メートル以上という場所と、非常に寒いという気候状況があるようだ。すなわち、1) 自力の食料調達が絶望的、2) 空気が薄く体力の消耗が急速、3) 低温のため死体の保存がきく、という点にあるように思われる。佐野(1995)のケースでは、死者を保存すると筏の状況が悪化したうえ、沈没の危険もあったし、精神的には死を迎え入れる準備ができていたと思われる。松田(2000)のケースは食べる死体が無かったし、小野田(1995)では家畜が豊富で、それらの備蓄方法にも習熟していた。

よく考えると、アンデス以外のケースはほぼ単独で、組織立った行動とは無縁だった点もある。おそらくそうした状況では、人肉食に至る前に死を受け入れるのだろう。アンデスでは、水分は十分だったが周辺環境は厳冬の冬山で、単独であれば生存をあきらめそうな状況であった。しかし、かなりの大人数であったために、良くも悪くもお互いの影響があって精神衛生は維持されていたと思われる。

文化や倫理的な面で日本人は人肉食に至らないのか、と考えたが、この点ではWikipedia:カニバリズム/日本のカニバリズムが反証材料になるかもしれない。日本でも過去には、人肉食にいたる例が数多くあったようで、その事件の性質のために、事実関係が明確にされたり追及されたりすることは少ないようだ。またそのために、日本では人肉食は稀だという印象を持ってしまいがちのようである。

【関連書籍】
合田一道:裂けた岬―「ひかりごけ」事件の真相 (1994)
 太平洋戦争中、知床で遭難。同僚の死体の肉を食べて生還した記録。

生存者 (新潮文庫)
生存者 (新潮文庫)
P・P・リード,永井 淳
新潮社 (2000)
ISBN-10: 4102188010
ISBN-13: 9784102188019

カテゴリー: ノンフィクション | タグ: | コメントはまだありません

松田宏也:ミニヤコンカ奇跡の生還 (2000)

10 月 11th, 2006

1982年、中国ミニヤコンカ遠征で下山に失敗し、遭難した著者による手記。

激しく消耗し、凍傷に体を犯されながらの単独下山で、繰り返しの幻聴で精神的に衰弱しながらも希望を捨てず、不自由な手の代わりに歯を使ってザイルをとき、肩がらみで山肌を下降するなど、非現実的な状況と常人離れした行動の記述が続く。

安直な状況判断で登山用具を投棄したり、精神的余裕を失って相棒と確執しついには別れるなど、多くの状況悪化が読み手をやきもきさせる。その反面、こうした安易な失敗で遭難してほしくないという思いが、著者の執筆動機となったようだ。

状況を考察すると、1) 持ち込んだ食料が尽きた上、拠点キャンプが早々に撤収してしまった、2) 判断ミスから来る状況悪化による体力の急速な消耗、3) 不安定な天候、などの点から、著者らに選択はなく、全力を尽くして下山するか死ぬかのどちらかといった差し迫った状況が、そうした常人離れした行動に結びついていたのだろうと思われた。

【関連書籍】
阿部幹雄:生と死のミニャ・コンガ (2000)
 本書の事故の1年前、7人がミニヤコンカの北壁に消えた遭難事故の記録。

カテゴリー: ノンフィクション | タグ: | コメントはまだありません

資金ゼロから始める「独立開業」成功マニュアル (2000)

8 月 5th, 2006

OLが肌に合わなくて自宅で開業し、30年の会社経営の末、成功をおさめたアパレル社長による独立開業の手引き。全国にチェーン展開するようになった実績を元に、開業時の心構えや経営者視点から見た従業員のあり方も述べる。

これまで在籍した会社の保護が無くなるという現実は、独立開業者の置かれる状況を大きく変える。何かに甘えていたり、問題を他に転嫁したりということは、簡単に失敗につながると著者は述べている。単純に金儲けがしたいだけであったり、安定した生活を望んでいたり、その事業が好きでもないという、モチベーションに問題がある場合も、事業継続の障害になると述べる。

甘えた従業員に向ける厳しい目は、経営者として正論ではあるが、愚痴のような印象も受ける。経営者である著者は、同時に起業家向けの公的援助制度の審査員になっており、その審査経験を本書後半で述べている。公的な援助を希望している人向けに書いたようだが 同時に著者の論理的ポジションがよくあらわれている。つまり、他の審査員と少しずれているのである。言いかえれば、正論だけれども、多くの平凡な人には受け入れにくい正論を述べている。

しかし、著者が言うように、独立開業者に甘えが許されないのは現実である。これから独立開業したいと思う人は、本書によって必要な心構えを知ることができるだろう。

カテゴリー: ビジネス・経営 | タグ: | コメントはまだありません

暗い森―神戸連続児童殺傷事件 (2000)

7 月 27th, 2006

1997年の神戸市で、小学生男児が殺害された上、首を切られて中学校の正門前に放置される猟奇殺人が起こった。本書は、この一連の事件をまとめたノンフィクション・ドキュメント。加害者が14歳の中学生であったことで報道が過熱し、少年法改正の論議に及ぶなどした(WikiPedia:神戸連続児童殺傷事件)。事件の経過はもちろんのこと、話題になった犯行声明や、家庭裁判所の処分決定要旨なども全文掲載されている。

この事件は、被害者、加害者にとっても大変な出来事だと思うが、それ以上に周囲の人物たちの苦しみがあるように思う。例えば、加害者の母親は、犯行に先立って児童相談所を訪れている。本書では、母親が無意識のうちに危機感を感じたうえでの行動と想像しているが、おそらくその通りであろう。しかしながら、少年審判の決定要旨などを読むと、生育歴のなかで母親との関係に少しばかりの問題があったことも指摘されている。こうした指摘は、母親や両親を苦しめたに違いなく、本書末尾に掲載された両親の謝罪文からも、困惑や悲しみなど複雑な感情が読み取れる。

本書の述べるところでは、加害者周囲のいずれもが、加害者を受け止めることができず、不運が重なったとしている。こうした社会システムの弱点は、加害者の少年ばかりでなく、社会生活をする人すべてにとって当てはまることであろう。また、大多数の人は、加害者の周囲と同じ立場に立たされたとしても、具体的な行動は取れなかっただろう。そうした点でも非常に難しい事件で、同時に重要な問題提起があるように思われた。

カテゴリー: ノンフィクション, 社会病理・犯罪 | タグ: | コメントはまだありません